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人を知る

当事者の声に向き合う日々。
解決のきっかけになる記事を。

東誉晃
(2019年入社、記者職)
東誉晃

 編集局の東誉晃記者は2019年に入社。県外の大学に通っていた2016年、熊本地震が発生し、「古里の力になりたい」と地元紙記者を志望しました。災害や水俣病の当事者をはじめ、様々な境遇にある人々の声を聞き続けています。

読者が考えるきっかけを

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新聞記者はどんな仕事ですか?
いろいろな人の話を聞いたり、資料を集めたりして情報を集め、記事にまとめて読者に伝える仕事です。大切なのは、さまざまな視点から物事を考えること。相手の言うとおりに文章を書くだけではありません。たくさんの情報の中から本当に重要なことを吟味する。公権力の言い分だけを書くのではなく、当事者や専門家の意見も聞いて深掘りする。そうして、読者が考えるきっかけと材料になる情報を届けたいと思っています。
 社会的に立場の弱い人の声にこそ耳を傾けるべきです。決して大きくはない声を最初に聞くのが記者です。その声に真摯に向き合い、責任をもって報道すれば、問題解決のきっかけになると信じています。
東さんのキャリアは運動部からスタートしました。
全国紙の新人記者は、地方支局の警察担当からスタートすることが多いです。熊日では警察のほか、経済、街ダネ、文化など各分野の担当に1~2人ずつ配属されます。
 運動部では小学生からプロまで、県内のスポーツを幅広く取材しました。県外出張で国体や中学駅伝、高校ラグビーの県代表に同行することもあり、試合の模様や選手のドラマを届けました。私は元高校球児で、競技に懸ける熱い思いに触れると取材に力が入りました。
2年目から3年目は阿蘇総局へ。九州有数の観光地で、熊本地震の被災地でもあります。
行政や警察、地域活性化の取り組みなど、阿蘇地域のことを何でも取材しました。熊本地震からの復興は大きなテーマで、交通インフラの復旧状況を伝える一方犠牲者遺族の思いを聞きました。
 熊本地震当時、熊本にいなかった自分に何が分かるのかと悩んだこともあります。それでも遺族の方は、復興ムードが高まる中、今も気持ちの整理がつかないことを話してくれました。そんな当事者の「今」を伝えることが、現地の記者の役割なんだと自覚した2年間でした。

水俣病報道を担当

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本社に帰任してからはどんな分野を担当していますか?
2022年から地域報道本部社会担当の遊軍記者として、水俣病や災害などを取材しています。守備範囲はほかにも労働、教育、戦争、くらしなどさまざま。ニュースを追いかける一方、課題をじっくりと深掘りし、問題提起しています。
 1956年に公式確認された水俣病は、熊日が長年追いかけてきたテーマの一つ。いまも救済を求めて、原因企業や行政との裁判を続ける人たちがいます。被害者や弁護士、支援者、学識者、行政など多方面に話を聞いています。
専門性の高い分野で難しさもあると思います。
水俣病事件史や法律、医学などの知識が必要で、勉強は尽きません。長年報道を続けてきた熊日の今の担当記者として、プレッシャーとプライドの両方を抱えて取材しています。
 水俣病は終わっていない問題です。当事者の話を聞き、それを実感しました。被害を受けた人の高齢化が進む中、解決に残された時間は限られています。これからも多様な視点で報じ続けます。
2022年にはお子さんが生まれました。公私ともに忙しい毎日だと思います。
阿蘇から帰任し、社会担当になった年でした。上司や同僚の理解があり、2か月の育児休業を取って育児と家事に向き合いました。夫婦共働きで、仕事と家庭を両立させることは当然のことです。行政の子育て支援の在り方や子育て世帯の悩みなど、記者としての関心も広がりました。

信頼される地元紙記者に

東さんが記者を目指したきっかけは?
2016年の熊本地震です。私は県外の大学に通っていて、何もできない無力感に襲われました。古里に貢献できる仕事をしようと就職活動に臨みました。
 熊日に決めたのは、地震の犠牲者遺族を取材した先輩記者のエピソードを知ったことがきっかけです。マスコミに不信感を抱く遺族から門前払いされそうになったとき、その記者はとっさに「マスコミではなく、熊日です」と腕章を見せました。遺族は「あなたは本当に熊日さん?」「熊日さんは、同じ被災者たい」と取材に応じてくれたといいます。長年築き上げた地元との信頼関係、当事者目線の取材姿勢が心を開いたんだと思います。そんな記者に自分もなりたいと、憧れを抱きました。
「地元紙」の記者として、どんな仕事をしていきたいですか。
働いていて思うのは、地元紙はローカルに密着しているからこそ、全国に共通する課題を掘り下げられるということです。例えば阿蘇総局にいた2021年、国立公園内で廃屋の撤去が難航していることを報じました。国の支援策があるのに、活用が進んでいない。これは他県でも起きていることでした。ほかにも、過疎に直面する村が取り組む教育政策、畜産系の高校が取り組む動物福祉に配慮した家畜飼育といった、最先端の事例も取り上げました。
 地方はこの国の縮図です。つかんだ情報の社会的な価値を考え、深掘りする記事をこれからも書きたいと思います。

1日の流れ

9:30 子どもを保育園へ送り届けて出勤。メールの返信やToDoリスト確認。
10:30 県内の大学で就職活動の取材。
12:30 弁当を買い、車内で昼食。先輩とランチに出かける日もあります。
13:30 熊日が運営するコワーキングスペース「びぷれすイノベーションスタジオ」で原稿執筆。
15:30 県外の大学教授に水俣病関係のオンライン取材。
17:30 会社に戻り、原稿執筆や明日の準備をしながら、先に出した原稿についてデスクとやりとり。
19:30 退勤。息子の出迎えで癒やされます。
株式会社熊本日日新聞社